立会川緑道から碑文谷八幡まで

風の強い午後、すこし離れた碑文谷八幡まで歩いてきた。
外出自粛要請が出ているなか、これはいわゆる「用もないのに出歩いている」ということになるんだろうか。
けれどこのところ在宅勤務でカンヅメになっていたのだ、このままじゃ脚が退化する。少しくらい歩くことを許してほしい。

武蔵小山の駅をすぎたところから始まる立会川緑道は、お気に入りの場所のひとつだ。
向原小学校の角で緑道は直角に曲がり、その先は碑文谷八幡まで一直線に桜並木が続く。まさに壮観。
去りゆく花の季節を惜しんでか、思ったよりも多くの人が緑道を散歩していた。
初夏のような日差しとマスクの息苦しさに難儀したけれど、今年もこうやってこの桜たちを見られたのだからよしとしよう。
桜を見ずにはいられない… というのはやっぱり日本人の血かな?

風が吹いて桜の花びらが雲ひとつない空に舞い踊る。ほんとうに吹雪のように。
ついこの間、思いがけず遠いところに旅立っていった人のことを思う。

八幡神社はあちこちにあるけれど、みんな雰囲気が違う。
碑文谷八幡は昔ながらの村の鎮守さまといった雰囲気で、高い樹々に囲まれた広い境内にひっそりとたたずんでいる。
初めて訪れたときはあまりに深閑として、ちょっと怖い… と思ったくらいだ。
今日もまた静かな境内。

鳥居のそばで参道の桜並木を背景に、お揃いの服を着た女の子が2人、並んで立っていた。
お母さんが写真を撮ろうとカメラを構えるけれど、風が強くてすぐに服が乱れてしまう。
お父さんが服をなおしてあげている。
幸せの風景。
何年か経ってアルバムを開いたとき、「あの年は大変だったね」とお父さんたちはしみじみと振り返るのかもしれない。娘たちは「へえ、そうだったんだ。あんまりよく憶えてないなあ」と顔を見合わせるのかもしれない。
まだまだ先の見えない状況だけれど、どうか、誰もがぶじでありますように。

東京寫眞帖

東京風景。 昭和の名残、ときどき現代。

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