大混雑の東急Bunkamuraを出た後は、また宇田川探索の続きを。
Bunkamuraの西の方には鍋島松濤公園があって、大正の頃までは今でも公園内に残る湧水池から宇田川本流へと向かう流れがあった。今はこんなふうに、一部が遊歩道になって残っている。
点々とマンホールの並ぶ道。
暗渠サインのひとつ。
鍋島松濤公園。
まだ学生の時分だったか、日本庭園に興味を持って都内の庭園を巡り歩いていた頃はじめてここに来て、あまりの狭さにがっかりした記憶がある。
改めて来てみてもさほど広くはない公園はあっという間に一周できてしまう。
水車ががらりがらりと回る池のほとりで冬枯れたすすきが風にゆうるりと揺れ、目にも鮮やかな赤い実をたくさんつけたイイギリが枝を伸ばしている。
学生の時は勝手にここを大名屋敷の庭の名残だと思い込んでいたけれど、元々は鍋島侯爵家の茶園だったそうなので、この水車も池に浮かぶ松の小島も、公園として開放されてから整備したものなのだろう。
公園入口の遊具のあたりでは、浅黒い肌に濃い黒髪の外国人の親子が追いかけっこをし、ブランコには金髪のくるくるした巻き毛の女の子が乗って、その様子をアジア系のベビーシッターの女の人が見守っている。
昔は「人種のるつぼ」といえばニューヨークの代名詞だったけれど、もはや東京も十分にるつぼだ。
公園の周囲をぐるりと一巡りする。
北側の道路は軽くスリバチ状にくぼんでいて、公園が谷頭の湧水池なのがよくわかる。
そういえば公園の北西側の斜面に空っぽのちいさな祠が見えたけれど、あれはもしかしたら水神様でも祀っていた跡なのかもしれない。
松濤公園前の道をBunkamura近くまで戻る。
交差点の向こうには八百屋さん。
渋谷にも八百屋さんがあるのか、と驚いたけれど、表の繁華な通りを少し外れれば、そこはふつうに人々が暮らすふつうの生活圏だ。
交差点から、公園方向を振り返る。
写真手前のあたりは川の跡ではないけれど、なかなか心惹かれる蛇行ぶり。
交差点の向こう側を見渡せば、そこにはいかにも川の跡のような細い道が。
テンションが上がる。
ここから神泉駅のあたりへも、宇田川の支流が流れていた。
神泉駅へ向かう道の左側、所々に急階段。
一本向こうの通りは丘の上で、いま自分の歩いているところは谷底。
ここに川があったことを実感する。
うらさびれた谷底通りを歩いていたら、京王線の線路にぶつかった。
流路はここで終わりなのかな… と思いつつ、電車をパチリ。
踏切を渡って振り返る。
谷底道はタイ料理屋さんが入っているビルを右に回り込んだところから始まる。
踏切脇の階段。
神泉駅の踏切を渡って道なりに進むと、坂の途中に出た。
この坂を登るべきか降るべきか…
とりあえず、坂の上にちらりと見えた八百屋さんのところまで行ってみることにする。
滝坂道の途中にある八百屋さん。
八百屋さんの角で左手を見ると、まっすぐ正面に西新宿・パークタワーの三連ビルがのぞいていることに気づいた。誘われるように歩いて行ったら円山のホテル街に迷い込んでしまい、気恥ずかしい思いをする。
八百屋さんの前から滝坂道を振り返る。
滝坂道を道玄坂に出る手前。
閉店した氷屋さんの背後には高層ビルがそびえていて、よくぞこの建物が残ったものだと感心。
道玄坂に出ると周囲はまた急に繁華になり、大きな建物ばかりが立ち並ぶようになる。
109前のステージではアイドルグループらしき男の子たちが歌い踊っていて、いかにも渋谷らしい、そんな喧騒の中を渋谷駅へと戻る。
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